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家電の歴史

エジソンが発明した電球が1892年にGEを生んだ。その後、GEが中心になって1919年にRCA(当時はラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ)設立した。RCAはラジオ、テレビを育てた。家電製品の歴史は、もともと血のつながりのあるこの2社を抜きにしては語れない。

もちろん、歴史があるだけではない。米フォーチュン誌の米国企業売上高ランキングによると、1984年はGEが製造業で9位、RCAは多角的サービス業の2位だった。

そんなGEとRCAの両社が合併した。GEは1933年、連邦政府との独禁法裁判の末、RCAの株式を手放した。GEとRCA両社は、強制的に資本関係を解消させられたのだ。

大型コンピューターでIBMに敗北し、撤退

1985年の買収・合併は単なる関係復活や規模の利益の追求とは別の理由があった。GEとRCAの両社には、2つの共通点があった。以下の2点である。

  1. (1)大型コンピューターに進出しながらIBMにたたきのめされて、撤退を余儀なくされた。
  2. (2)テレビ、VTR(ビデオテープレコーダー)などで日本勢に敗れた。

GEとRCAの両社の事業分野をみると、航空宇宙、情報通信など成長性の高いハイテク事業では補完関係にあった。カラーテレビとVTRの米国内シェア(市場占有率)はハネ上がった。GEのウェルチ会長とRCAのブラッドショー会長は合併の目的を「国際競争力の強化」と説明した。

テレビ放送NBCを手に入れた

買収の最大のねらいはRCAの翼下にある米3大テレビ放送ネットワークの1つ、NBCをGEが手に入れることにあった。先にキャピタル・シティーズ・コミュニケーションズ社がABCを買収して、「3大テレビは買収不可能」との神話は崩れた。

その後、ケーブルテレビ会社の経営者、テッド・ターナー氏がCBS買収に乗り出した際、GEがCBS支援の態度を見せたのもテレビネットワークに意欲を持っている証拠とみられていた。今回NBCを獲得することで、GEはTVネットワーク事業進出の念願を果たせた。

ビデオカセット部門を獲得

もう1つのGEのねらいはRCAのビデオカセット部門を入手すること。ビデオカセット部門をを手にすることで、消費者向けエレクトロニクス製品市場における自社の立場を一段と強めるとともに、軍需部門の高度技術開発にも力を注ぎたいと考えた。

宇宙航空分野では、主力の航空機エンジンにRCAのエレクトロニクス事業が加わり、極めて強力な存在となる。

RCAの売上高は100億ドル

RCAは放送事業のほか、テレビ、オーディオなどの民生用機器、半導体など電子機器を生産していた。さらに金融部門事業も手掛け、1984年の総売上高は101億1000万ドルだった。1984年の純利益は2億6530万ドルだった。

一方、GEは先端技術を駆使した各種電機製品のほか、航空宇宙機器、エレクトロニクスなどを扱う総合電機の最大手だった。1984年の総売上高は279億ドル。1984年の純利益は22億8000万ドル。

日本企業と競争しなくて済む分野

GEは電球や洗濯機など大量生産製品への依存度を下げ、先端技術やサービス分野の比重を高めたいと望んでいた。GEの考えによれば、日本の大企業は高度に保護された日本国内市場から大きな利益を得ている。日本企業は日本国内市場で弾みをつけ、海外市場に効果的に進出したというわけだ。

だが、保護された米国内市場を持たない米企業はどこでその補いをつけるか。外国との競争にさらされない事業を探した。例えば、RCAのNBCテレビ放送網や通信事業だ。RCAのテレビ・通信収入は有り難い財政的安定装置になるだろうとGEは結論したのだ。

独禁法をクリヤ

米独禁法やFCC(米連邦通信委員会)の規制については、一部の事業売却で決着した。1985年12月の買収合意から6カ月という予定通りのスピードで完了した。

買収の問題点とみられた事業分野については米司法省、FCCとの話し合いがついた。司法省独禁局が競争制限の恐れを指摘したテレビ部品事業の一部は1986年11月末までに売却した。FCCの合併規制に抵触するテレビ・ラジオ局では、ニューヨーク、シカゴ、ワシントンなどのラジオ局5局を売却した。