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ポストCRMを読み解く10のキーワード

山本 泰史
マーケティング統括部
マーケティング部 スペシャリスト

第9回: デリカシー

今回のキーワードは「プライバシー」、ではなく「デリカシー」である。デリカシーはプライバシー配慮も包含した考え方である。プライバシーを尊重し、取引の中で得られた個人のデータを保護することは、いまや法律遵守上の問題であって、ビジネス上の差別化要素ではない。顧客の観点からすれば守ってしかるべき最低限のことであり、プライバシー保護を怠る企業は信用をなくし、場合によっては市場追放も免れることはできない。もはやそれは市場ルールなのである。では、「最低限のこと」があるとすれば「最高のこと」もあってしかるべきである。最高とは言わないまでも、「より望ましいこと」を巡る要素は、差別化要素となり得るはずである。

チャネル毎のパーミッション

まずは最低限のことから。例えば、いままでダイレクトメールを送付していた顧客に対して、電子メールを送信しても良いだろうか。または電話をかけても構わないだろうか。「どれもうっとおしいから困る」顧客もいれば、「電子メールくらいなら構わない」顧客もいるだろう。これらの希望に沿うことは、最低限の「デリカシー」であり、「プライバシー」配慮である。利用チャネルに関する許可を得て、その上でマーケティングメッセージを案内することが必要になる。これは特に、「あなた」宛に為される直接的なコンタクトにおいて注意しなければならない。テレビのコマーシャルメッセージやインターネットのバナー広告は、自分宛かどうかが定かではなく、見るほうも寛容になれる。悪く言えば無視できるのである。しかしながら直接的に「あなた」にメッセージが向けられたとき、そしてそれが望まれないものであったときには、顧客の印象は最悪となってしまう。これを避けるためにできることは唯一、パーミッションを取得し、それに従うことである。

過剰なコミュニケーション

では、パーミッションを取得しさえすれば、1日に何十通もの電子メールを送りつけても良いだろうか。原点に戻って考えれば明らかだが、顧客に何かしらの行動を促すことがマーケティングメッセージの目的である。従って、このような麻痺を生じさせる過剰なコミュニケーションは、やればやるほど本来の意図から外れていってしまう。そもそもメールボックスを頻繁にのぞく顧客なのかどうか、そして仮にそうであるとして、何十通にもわたる電子メールがリストされていたら、どんな気持ちになるかは考えなければならない。

どの程度の頻度が好ましいかはケースによって異なるが、適切な頻度であると同時に、関心を持ってもらえるメッセージでなければならない。さもなければ、最初のうちは開封してもらえても、そのうち無視されるようになる。逆に 3ヶ月に 1回しか配信されなくとも、それが魅力的なオファーの塊であれば、顧客はそれを心待ちにするはずである。これは物理的なダイレクトメールや電話であっても同じことである。

このようなパワー型マーケティングがデリカシーに欠けることは容易にお分かりいただけると思うが、実は気が付かないうちにこのようなマーケティングを実施している場合もある。例えば、百貨店のテナントショップ A とテナントショップ B であなたが良く買物をしているとする。シーズン催事になって両方のテナントから同じダイレクトメールが届いたら、それぞれのテナントにとって正しい行為に思えても、企業体としてみたときには一貫性の無い行為に見られてしまう。これを避けるには、統合的な視点でコミュニケーション頻度を管理し、適切なインターバルをとることが必要になる。このケースの始末が悪いのは、本来大事にすべき優良顧客にコミュニケーションが集中してしまう傾向にあることである。

デリカシーマーケティング

一方で凡庸なコミュニケーションも、顧客の心をときめかせたり、自社が重要視していることを伝えてくれたりはしない。自社が顧客との関係を構築し、コミュニケーションを重ねてきたのであれば、そこから得られたデータを元に、顧客毎に個別化された「かゆいところに手が届く」オファーや、より魅力的なオファーの勘所を理解できるはずである。逆もまたしかりで、どのチャネルからの案内に反応しないか、どのようなオファーに関心が無いかも理解できる。企業が知恵を尽くし、自分、つまり顧客のことを考えているかどうかはこのようなコミュニケーションに表出する。これができなければ、仮に最低限のプライバシー保護をしていても、顧客から望まれ、選択されるようなデリカシーを実装しているとは言えないのである。

次回は最終回。キーワード「キャンペーン管理」について説明を加える。

この記事は雑誌 『チェーンストアエイジ』 (2007年9月1日)に掲載されたものです。

顧客との距離

個人に対してアドレス可能なチャネルの進展は、顧客との物理的な距離を縮めることになったが、それは顧客との心理的な距離を縮めることには必ずしもならなかった。顧客との関係を構築し、維持し、強化することと、チャネル技術の進展とは全くの別問題である。そればかりか、この距離の近さは、今までのマスマーケティング主流の世界においては考えられなかったコンフリクトをもたらすことになった。

「プライバシー保護」という命題がマーケティングや顧客接点に関する世界で注目されるようになったのは、このような物理的な距離の「近さ」が顧客に不快感を与えるようになったためであろう。このような距離感は、心理的なものを抜きにしては語れない。必要な時間と会話を共有して近づいていったのであれば気にならないかもしれないが、良く知らないもの同士が近い距離にいれば違和感を抱くことになる。満員電車の押し合いへし合いや、食堂で知らないもの同士が相席になったときの居心地の悪さ - これは物理的な距離と心理的な距離のズレがもたらすものである。ましてや満員電車ですし詰めになっているときに隣の人からモノを売り込まれたら...そう考えると、想像しただけでもぞっとするのではないだろうか。

マーケティングメッセージも同じである。パソコンのブラウザ画面やメールボックス、電話口、もしくは郵便箱に投げ込まれるメッセージが同じように取られかねないことも想像しなければならない。しかもその矛先が識別可能な個人に直接向けられており、購入のプレッシャーを匂わせ、時間を浪費することを強要してしまうのならば、顧客は確実に不快感を抱くことになる。これが続けば顧客は自身の五感をシャットアウトしようとするようになり、どんなマーケティングメッセージもジャンクメッセージとして扱うようになってしまうのである。これを避けるためには適度な距離を保ち、「かゆいところに手が届き」ながらも、行き過ぎないコミュニケーションを継続し、信頼を勝ち得るほか無い。関係性を構築するのは必ずしも距離ではない。顧客が自社に関して快適に過ごした時間の総量なのである。

幼い頃に誰しも試した糸電話 - 糸がピンと張っていないと会話は聞こえず、一方で張りすぎれば糸が切れてしまう。顧客とのコミュニケーションも同じではないだろうか。至らないコミュニケーションは伝わらないものであり、過剰なコミュニケーションは顧客を麻痺させることになる。過ぎたるは及ばざるがごとしとはよく言ったものだが、顧客との適度な間合い、適度な緊張感はお互いの利益の為にも不可欠なのである。

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