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山本 泰史 (やまもと やすし)
マーケティング統括部
マーケティング部 スペシャリスト
(前回からの続き)
4. 公的な満足
満足は、気持ちが「満ち、足りる」と記します。自らにとって好ましい感情で気持ちが充分に満たされることを意味します。金銭的に換算可能な利益ではないため、人間は満足という感情を口座に貯蓄することも、家計簿につけることもできません。また、気持ちの総容量がどの程度で、どのような単位で測られ、そして満足と不満足の境界線、気持ちの総容量に対する満足の量や割合を理解することはできません。「人間の気持ちの総容量は 1,000ml で、そのうち 80%、つまり 800ml が好ましい感情で満たされたとき(もしくは好ましい感情の濃度が 80%を超えたとき)、人は満足を感じるのです」のような明快な定義が存在するわけではなく、論理化が難しいという特性が挙げられます。そして満足は計画的な努力の結果であれ、計画外の思わぬ感情の高揚であれ、異なる時間に持ち越すことはできません。それは根本的にコントロールができない性質のものであり、時間と空間を飛び越えることができないのです。
しかしながら突き詰めて考えた際に、人間はこのような満足を得るために日夜奮闘していることは言うまでもありません。社会的な尊敬を受け、美味しいものを食し、我が子の成長を微笑ましく思う…このような瞬間が多いほどに今日という 1日を「素晴らしい 1日」として振り返ります。この中で公的な満足は、他者性に依存した満足の形であり、他者との関係の中から得られる感情の形です。社会的な地位を得ることによって尊敬されることや、他人から愛されること、何らかの才能や努力によって賛美を受け、重要視されること、これが自らに対する評価として返ってくることにより、人は喜びを感じます。しかしながらこの公的な満足は、前述した性質に加えて、その満足が他者に依存しているが故に、獲得に対する不確実性が高いという性質を持ちます。そしてこの理由ゆえ、象徴的な商品、つまり他人に対して何らかのメッセージを送るような商品がここに該当します。
リンカーンのような高級車、自家用ジェットや広い邸宅は、これらの目的を支援する商品の 1つです。これらの商品が単に輸送手段や雨風をしのぐ以上の存在であることはいうまでもありません。それらは利便性や快適性で説明可能な私的満足であると同時に富の象徴であり、その商品を通じて、他者に対し「自分をこう見て欲しい」と訴えているのです。同様のことはブランドバッグや仕立ての良いスーツにも当てはまります。別に高級スーツでなくとも、スーツを身に着けることの意味を考えればそれは充分に公的満足の充足を目的としたものです。「こう見られたい」という印象が、社会的に高い地位にいることを訴えたいのか、真面目に働いている社会人であることを訴えたいのか、社会的慣習に従順で、安心できる人間であることを訴えたいのかの違いでしかありません。またブランドバッグのように模倣的な消費も、逆にそれとの差異化を目指す消費も、この中へきれいに組み込まれます。ファッションセンスという社会的な評価において平均点以上の評価を得たいのか、それとも差異化によって脱大衆的な評価を得たいのかの違いがそこにはあるのみです。もちろんそのバッグを保有することによる私的満足の可能性を否定するわけではありませんが、その理由しかないのであれば家の中でバッグをぶら下げて喜べば良いのであって、持ち歩く理由を私的満足のみに求めるのは無理があります。
化粧品もこの目的に大別化される商品の 1つですが、それだけにとどまりません。化粧品にとって最も重要な目的の 1つは異性の目を釘付けにすることです。そしてそれと同時に、社会的にきちんとした人として見られたいという目的にも対応します。これらはいずれも公的満足に類別されますが、合わせて自らに自信を持ったり、美しくなった自分の姿に対して満足を得たりという、後述する私的満足にも合致します。百貨店で最初に目に入るフロアを各化粧品ブランドが陣取っている理由は、このような 2つの目的に対して、大きな重要性を持つ商品カテゴリーとして位置づけられているが故なのでしょう。
5. 私的な満足
私的満足は公的満足よりも、さらに輪をかけて論理化が難しい分野です。美味しいものを食べる、好きなデザインの服を着る、洗い立てのシーツとふかふかのベッドで眠る…こういったコトは、生命としての機能を維持する以上の価値を人間に与えます。クロード・モネの「睡蓮」を愛で、ビーチ・ボーイズの「Good Vibration」になんとも切なく、やるせない感情を抱いたとしても、生物として生存するという意味においては何の価値も見出すことができません。もちろんアルファ波やアドレナリンとの関係は見出すことができるかもしれませんが、それが何を意味するのか、そして個体差によって何故違いが表れるのかは、大変難しい問題です。個体内でも違いは見られます。ピーマンの苦味が嫌いだったのに、そのうちに好きになることは良くあることです。マイルス・デイビスのトランペットに身体中の神経を剥き出しにされたような戦慄を覚えるときもあれば、単にうっとうしく聞こえるだけのときもあることでしょう。
その背後にうごめく心理は、おそらく身体の様々なサインを受け取り、自身の記憶と組み合わせることによって、時にはアイスクリームの甘さを求め、また別の時にはケーキの甘さを求めることになります。これは衣食住といったファンダメンタルな目的に依存しない部分でも同じです。マイルスのトランペットを聴覚に求めるとき、それは身体が緊張感とも開放感ともつかない感覚を求めていることを示す「サイン」なのかもしれません。モネの柔和なタッチを自らの視界に求めるときには、身体が弛緩を求めているのかもしれません。しかしながらその構造の奥深くは暗い闇に包まれたままであり、何故シャガールでなくモネ(またはその逆)なのかを理解するには、心理学と生物学が交わる日を待たなければなりません。
いずれにしても心理的な快感を得ることが可能で、それをもたらしてくれる商品が、ここでの目的を満たす商品となります。衣食住にまつわる商品は、多くの先進国においてそうであるように、ファンダメンタルな目的を満たすと同時に、それ以上の価値を消費者に訴求します。今日の日本ではどんな食品も、「この商品で半日お腹を空かせずに済みます」とは訴求しません。また、嗜好性/好奇心/快適性を満たす商品、例えば小説や音楽、映画、煙草、お酒、テニスコートやラケット等もここに該当する商品と言えます。
6. 生物種としての満足
主に自らの親族を対象とした見返りを求めない奉仕による満足は、元をたどれば「種の保存、自己増殖」という動物の根源的な欲求に根ざしたものであると考えると、少なくとも頭では納得できるものです。しかしながら、自分の子供や配偶者、お孫さんを愛おしく感じ、彼らに対して何かをしてあげることは、なにゆえ満足をもたらすのでしょうか。博愛心のある方はそれだけにとどまらず、ボランティアや寄付によっても満足を得ます。多くのケースにおいて、そして人間だけでなくあらゆる生物は一般に、一定のコストやリスクを払っても自らの親族を守り、食べさせ、幼い場合には成長を支援します。そして人間の場合、この大変な作業から得られる他人(親族)の利益獲得に喜びを感じ、それに使命感すら覚えます。これが何故なのかをさらに探求しようとすれば、おそらく哲学や遺伝子の世界に足を踏み入れなければなりません。一方で本稿の目的は購入の目的を捉える事にあるため、ここでは、「(なぜかは分からないが)人間は種の保存を目的とした活動に喜びや満足を感じ、それが満たされたときになんらかの快感を得る(ケースがある)」という事実までで、充分な分解とします。これらに該当する商品として、前回記した学校教育や生命保険、家族のための料理(料理道具や冷蔵庫)、乳児のための粉ミルクや紙おむつ、お孫さんに買い与える玩具、家族旅行やレジャー(旅行サービスやレジャー用品)等が挙げられます。
このようにして見ていくと、商品の多くは複数の目的を保持していることが分かります。例えば海外旅行は、友人や家族と楽しい時間を過ごすような公的な満足が目的である場合も、美術館めぐりのように私的な満足を満たす場合も存在し、この両方を満たす場合も存在します。このような目的の複数対応性は、言い方を変えれば、汎用的な目的の元で購入される商品が世の中には数多く存在することを意味しています。例えば通信サービスは誰かと連絡を取るという目的を持ちますが、何のために連絡を取るのかという点に基づいて、前述してきた目的に大別されます。単に会って話す手間を省くという目的はほとんどの通話に共通します。自慢話を友人にしたいのであれば、それは公的な満足に分類されることでしょう。救急時の病院への通話は生命の維持を意図するものです。
これらの目的の幾つかは時に、当たり前のこととして購買時に考慮されないこともあります。例えば衣料品の購入時に身体を守るという目的が考慮されることはほとんどありません。食品流通が発達している先進国において、食品の摂取可能カロリー数の高さをマーケティングメッセージの肝に据えることはありません。前述のように化粧品の購入は異性に対してアピールするという側面と、きちんとした人間として見られたいという側面の両方を満たしますが、購入時に意識されているのは「きれいに見られたい」という、両方の目的を混合させた意識です。
また、相反する目的間における人間の選択も興味深い分野です。ダイエットとアイスクリームという、相反するテーマは、言ってみれば公的満足と私的満足の代理戦争であり、ワンサイズ小さいスカートと乳脂肪分(+糖分)の代理戦争でもあります。また、限りある時間を満足に費やしたいのに、それを得るためには労働によって利益を獲得しなければそれにありつけず、そのためには本来満足のために費やしたい時間を犠牲にしなければなりません。この相反する目的の間で人間はバランスをとり、その時々に応じてより重要なほうを人間は選択し、利益の最大化を図ることになります。お子さんの学校教育に伴う多大な出費にため息をつきながらも、それに対して労働を課し、そのための収入を得るのは、大事なお子さんの将来を思うからこそであり、それに対して自分が満足を得ることが期待できるからです。
マーケターが購入に影響を与えんとするとき、このような心理状況を巧みに捉え、活用することが必要になります。限られた媒体スペース上の制約や時間的な制約(例えば営業担当者の面談時間等)の中で、どの目的に訴えるべきか、どのような目的間の衝突が存在し、そのバリアーを取り除くために何ができるか、そして目的達成に際して他社ではなく、自社の製品を選ばなければならない理由は何なのかを訴える必要があります。もちろん前述の制約条件に猶予があるのであれば、複数の目的に訴えることも採るべき手法の 1つです。そして同時に、この目的達成を意味する便益、そしてそれをもたらす作用や機能、そしてそれを実現する事実、属性を整理し、顧客に対して訴えなければなりません。なぜなら便益を訴えるだけで顧客は納得することは無く、どのようにそれが達成されるのか、なぜそれを達成可能なのかは作用や機能、そしてそれを実現する事実や属性なくして証明することができないからです。一方で多目的性、もしくは汎用性を持つ商品を訴求するときに、作用や機能だけがその訴求点となっても顧客にはピンと来ません。このため目的の整理、そしてそれに基づいた各要素(作用や機能、事実や属性)の整理を行い、これらをうまく組み立ててマーケティングメッセージを作成し、アプローチに利用することが必要となります。